癌3 とうとうきたかこれから書く私の癌についての記述はあくまでも私の視点のものです。医学的な素養があるわけではありませんし、ひょっとしたら客観的でも平等でもない観点が多いでしょう。 1998年3月。 当時勤めていた会社で健康診断をするので参加してくださいと、事務員が言ってきた。 小さな会社だったので人数が集まらず、それでは困るという。 私は夕方からの勤務で朝早い検診なんぞ出ないと威張っていたが、社長のお嬢さんが自己負担分を会社で出すからお願いとわざわざ言ってきたのに折れて渋々行く事にした。 実は40歳になったら自分でもちゃんと検診を定期的に受けようとは思っていた。 10代の頃に腫瘤が乳房に出来、身内に癌患者が多いのもあったので。 本当に偶然と気まぐれで検診に行ったのだ。 婦人科の検診はどうしますかと聞かれて、ついでだから受けただけだったし。 2週間くらいしてから自宅に検診結果が届いた。 開けてみると予想通りに乳房は要精密検査だったが。 もう一つ下に要精密検査項目があった。 子宮!? クラス IIIbって何だ? しばらく考え込んだがやはりこれは精密検査を受けた方がいいのかなと思い始めた。 だが婦人科と外科両方に行くのはなあ。 交通の便が良く、総合病院でできれば婦人科で乳房外来がある処がないかと調べたら、やはりありましたね。 大きな病院なのでおそらく初診ならとんでもなく時間がかかるだろう。 休みを貰っていってみた。 最初の問診に辿りつくまで約4時間。 そこから最初の診察までまた1時間。 大きな部屋で医者が5人、看護婦(当時)も5人ほど。 いや~な内診の後、とりあえず癌かそうでないのか徹底的に検査する為に通院するのが決まった。 ここら辺で「これは当たりだな」と自分では思っていたのも事実。 でも仕事は続けたかったので、早いうちなら何とか復帰できるとも思っていた。 会社には検査の為にしばらく通院することは伝えた。 夕方からの勤務なのでまず仕事には差し障りはないが。 医師は必要なら安定剤のようなものも処方すると言ってくれたが、必要ないと答えた。 強がる訳ではないがまだ癌と決まった訳でもないのに動揺するのも変な話。 検査と仕事に追われる日々が始まった。 夕方からの勤務に慣れた身体なのに病院へ行くために早起きするので、正直毎日眠くてまいった。 ただ、地下鉄を降りて病院までの道すがら、通い始めた時にはまだ凍り付いていた道路が融け、水仙が芽吹いていたのはよく覚えている。 この時から花を眺めるようになった。 最後の検査は痛かった。 奥の部分を昔の駅の切符切りのようあもので「ぱっちん」するのだが。 何箇所も「ぱっちん」されて出血が止まらず、待合の長椅子で横になっていたが。 その日は仕事をどうしても休む訳にはいかなかった。 翌日必ず病院に行く代わりに色々詰め込んでもらい、痛み止めも貰ってようやく仕事に行った。 2003.9.6 |